会員リレートーク

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 1972卒
 安藤哲夫さん

学生時代
 小学校1年生の頃からギターを弾き始め、大人になったら音楽の仕事をしたいと思うようになりました。中学3年生になって進路を決めなければいけない時、高校に行かずピアノ大工(そんな仕事があるのか分からないのに)になりたいと、担任の金治先生に相談したら、色々調べてくれて、調律師がいいのでは、と教えてもらいました。それには高校を卒業しなければいけないとのことで、近所の臼杵高校に行くことに。ところが、何故か進学コースに入れられ、厳しい勉強を強いられながらも、ギターを弾き、音楽部でコーラス(歌はめっちゃへたなのに)をやってNHKコンクールで県代表に選ばれたりなんかしました。3年生の10月に「河合楽器ピアノ調律技術者養成所」の12期生として合格しました。他のみんなは、受験まえなのに、私だけルンルン気分で卒業できました。

浜松時代
 養成所は浜松市の西、浜名湖の中にある弁天島にあり、全寮制で6:00からランニングで始まり17:00まで授業で22:00消灯という、自衛隊を模した生活です。1年後、配属希望を募り各地の営業所で勤務することになります。(養成所は河合楽器に在籍している間は授業料を払わなくていいのです)
私は工場でもう少し勉強したかったので、工場を希望しました。勤務初日、カンナを5本渡され驚きました。調律の勉強はしたけど、木工はやったことはありません。毎日、木を削って、カンナといで、半年。上司がいい方で「どうせ、支店に出るんだから」と、各部所に配属、経験をつませてもらえました。
工場の先輩からバンドの仕事があると誘われ、終業後、月~金はキャバレー、土日はホテルでベースを弾いていました。ギャラは工場の給料の3倍になっていましたが、全部使っちゃいました。
このころ、何故か臼杵に帰りたくなって。臼杵高校の音楽の先生だった中津留恵子先生に相談したところ、大分市の楽器店に入れることになりました。ところが、社長さんと面談したら、その会社の扱っているメーカーに行ってくれと、次の日に浜松へもどることになります。中小メーカーで立型のピアノを製造しているのですが、工場の仕事をしたり、輸入ピアノの整備をやったり、ここでもいい先輩に恵まれしっかり勉強させていただきました。

大分時代
 半年ほどで大分に帰してもらえるようになり、楽器店の仕事をするようになります。納品(ピアノ担ぎ)して調律やって、販売やって。
2年間勤めた後、独立して現在に至ります。独立当初は顧客獲得に苦労しました。そんな時、商工会議所青年部に誘われ入会します。イベント企画や奉仕活動で臼杵の活性化になることをやりました。「史跡コンサート」は私の企画でした。県内外の若手企業家との交流もこの時代に培われ、今でもお付き合いできています。帰ったばかりのころは、都町でジャズの演奏もやっていましたが、最近はMTRという機材で多重録音してカラオケを作って、頼まれればギター持って演奏しています。趣味は週に4回の剣道で健康維持に努めています。現在は、調律、修理、オーバーホール、コンサート調律等忙しい毎日です。
最後に、浜松時代から53年、お世話になった方々、そして、何よりも自由にやらせてくれている妻に感謝です。

24回生 (昭和47年卒) 安藤哲夫


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